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評価:
山崎 ナオコーラ
文藝春秋
¥ 1,458
(2016-07-11)
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美しい距離 / 山崎ナオコーラ(文藝春秋)
評価 ☆☆☆☆☆
妻は40歳代初めで不治の病におかされたが、
その生の息吹が夫を励まし続ける。世の人の心に静かに寄り添う中篇小説。
(感想)
私も8年前に家族をこの本の主人公と同じ病気で亡くしており、
それ以来、闘病モノの本も映画もドラマもドキュメンタリーも絶対に見ないように
過剰なほどに意識してここまできました。
山崎ナオコーラさんは私にとって「新刊が出ればどんな内容であれ読みたい作家」で、
この本も図書館の新刊コーナーで発見するなり、
内容を確認することもなく、ただ「ナオコーラだから」という理由で当たり前に借りてきました。
・・・なのに、まさか死にゆく妻に寄り添う夫の話だったとは・・・。
でも、読んでみて、この本を読めたことに感謝しています。
もう少し早くこの本に出会いたかった。
あの頃に感じた自分の気持ちに近いものがここには描かれていて、
常に手元に置いておきたい本だと感じました。買います、絶対買います。
主人公は病院やお葬式に来てくれた人や義父母とのやり取りの中で、
彼らとの考え方や立場の違いから悪気のない言葉にもカチンと来てしまう場面が多々ありましたが、
この主人公の「カチン」のスイッチが押されるタイミングが
私があの頃に感じた「カチン」のタイミングと似通っていたのがこの本を好きになった最大の理由です。
本の中で認定調査員が痛みを散らす薬を「麻薬」ということに対して、
主人公が違和感を覚える場面がありましたが、
これと似たようなことが私にもありました。
ウチも処方された薬の袋にはっきりと「麻薬」と書かれていて、それを見たときに感じた激しい怒り。
患者も目にする袋に「麻薬」ってどうなんですかね?
世間に一般に「麻薬」というのは服用すれば犯罪になるアレのことであり、
そんな言葉を簡単に記す神経がどうかしてると強いショックを感じたのを覚えています。
そして、家族が毎日病院に行くのは「死に際を見とりたいからか否か」という医師とのやり取りも・・・。
その瞬間を見逃さないために見張っているわけなんてあるはずがない。
瞬間に立ち会うことになんて何の価値も感じやしません。
大事なのはそれまでと、残された時間をともにどう過ごせるかだけ。
このへんの価値観の違いにも憤りを感じます。
主人公と妻の間にだって、食い違う点はあるんだから、
延命治療や最後の看取り方への思いは人それぞれに違います。
だから押し付けたり、経験者ヅラで上から目線で語られるのは嫌。
そこをどう尊重し、折り合いをつけていくのかが「優しさ」であり「思いやり」だと私は思っています。
そして迎えてしまう・・・死。
でも、その人との関係・向き合い方は死んだ後もぼんやりとつきまとうものであって、
P140に「妻に線香をあげるなんてちゃんちゃらおかしい」とあったけど、私も今でもそう思う。
あの人の仏壇に線香をあげてる自分、冷静に考えると本当にばかばかしい!!
私は今だってあの人が生きていた頃と同じように、
仏壇にふざけたものをお供えして「やってやった感」でニヤニヤしたり、
最新流行のお菓子をお供えして「どうだ?こんなのあんたは知らんだろw」と小馬鹿にしたり、
そういうスタンスで死者と向き合っています。
それでいいと思う。今までとおんなじ。
だから主人公の「死んだ人は神様になる」という考え方には共感できなかった。
妻が死んで、日に日に神に近付いていくと思っている夫はですます調の言葉で妻に語りかけるようになり、
一年が過ぎた頃には尊敬語や謙譲語まで出てくるようになります。
これが2人の新しい関係(距離)であり、
少しずつ離れることで夫のこれからにも明るい光が差してくる・・・そういうことなのでしょう。
これこそがタイトルでもある「美しい距離」なのでしょう。
でも、私はどうしてもそんな新しい距離感で死んだ人に接することはまだできず、
最後の「離れよう、離れようとする動きが、明るい線を描いていく」と一文が心にひっかかっちゃって。
でも、徐々にあの人が日々心を占める割合が薄らいでいくのも、
決して悪いことではないとわかってはいるんですけどね・・・。
主人公のゆるやかな変化に対し、
いつか自分もそのくらいの距離感で向き合えるようになれればいいなとは感じています。
やはりその状況に立ってみないとわからないことが多いです。
私は主人公と似た状況に置かれたことがあったからこそ、
この本にも強く共感できたのだと思います。